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#215 04/12/00

堕胎と人権について

拙文の214号(11月26日付け)に書いた、プリンストン大学のシルバー博士著の『エデンの作り直し(Remaking Eden)』をようやく完全読了した。

その159ページに米国が堕胎を合法化したのは1973年との事である。堕胎の合法化によって、両親から望まれないという不幸な子供の数が劇的に減少した。

ところで「老生」は堕胎なる言葉は承知していたが、その明確なる医学的定義は知らなかった。そこで、いつものように、オックスフォード医学辞典を調べてみた。答えは、『妊娠のある時期で胚芽あるいは胎児を排除あるいは除去すること』とあった。

その意味するところは、胚芽も胎児も人間とは認められていないと言う事である。そうでないとすると、米国では、医学的意味で1973から殺人を認めている事になるではないか。これまでのところ「老生」の理解は正しいと考えるがいかがであろうか?

他の国は別として、少なくとも米国では、胚芽も胎児も人権を持たない事になる。ましてや受精卵、卵子、精子に人権があるはずがない。しかしながら、シルバー博士は、オーストラリアで起こった、「孤児の胚芽」という極めて興味深い話を紹介している。以下、同博士の紹介する事実を、同博士自身の言葉を部分的に引用しながら要約する:

1981年に、ある米国人夫妻がオーストラリアの人工授精専門のとあるクリニックを訪ねる。そのクリニックで妻は三つの卵子を生み出し、それらはいずれも人工授精される。やがて、妻は妊娠するが、その直後に流産する。他の二つの胚芽は凍結保管される。妻は再度挑戦するのに臆することになる。流産に伴う感情的な問題がその理由であった。そして夫婦は凍結した二つの胚芽をオーストラリアに残して帰国する。

2年後に夫婦はチリに旅行し、そこで飛行機事故に遭遇して死去する。つまり、突然にオーストラリアに残した胚芽は孤児になるわけである。この夫婦は非常に裕福であった。英国の新聞が『巨額の遺産を相続した胚芽孤児』という派手な見出しで記事を書く。すると、この遺産を狙った多くの女性が世界中から代理母の申し出が集まる事となる。

オーストラリアのビクトリア州政府(この夫婦が訪れたクリニックはビクトリア州にある)は、この事態に対処するために特別委員会を任命する。一年後にこの委員会は、『胚芽は解凍してクリニックで処分せよ』という結論を出す。婉曲に殺せと言ったわけである。

予期されたように、この結論に対しては、これら小さな胎児に対する死刑の宣告であるとして、反対の大合唱が起こる。そして、これに慌ててビクトリア州議会は、委員会の決定を無効とし、特に『胚芽の処分』を撤回するような立法をするのである。同じ頃、亡くなった夫婦が住んでいた米国のある州の裁判所では、問題の胚芽も、胚芽から生まれるやも知れない子供も、夫婦の遺産を相続する権利はない、という決定をする。その結果として、これら胚芽の遺児たちは忘れ去られたまま、現在でも液化窒素のタンクの中に残されたままである。多分永久に!

「老生」思うに、このケースは先進テクノロジー、法律制度、個人的利益追求(代理母の)間にある大きなギャップがあることを示している。これは恐らく実話であろう。そして、「老生」は、現在、われわれは真に複雑かつ困難な時代に生きているとつくづく感じる次第である。テクノロジー、司法制度、教育制度、個人モラルのレベルを含めた社会制度等々、文字通り、それらの全てに再考が必要とされ、諸々が調和されなければならないのである。

A,B,C,D,E,F等々のファクターの間に存在するギャップを、われわれは狭くすることが果たして可能なのであろうか?たまたま「老生」は話を簡単にするためにAからFまでの六つのファクターだけに絞った。ところが、この世の現実には、数え切れない無数の要素が絡まって成り立っている。それを考えると、さすがの生まれつきの楽観論者である「老生」もあまり楽観的ではいられなくなる。

特に、テクノロジーの独走あるいは暴走には危険を感じる次第である。


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