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#214 26/11/00

受精卵には人権があるのか?

この週末(11月25日と26日)にプリンストン大学の分子生物学教授、リー・シルバー博士が書いた『エデンの園の作り直し(Remaking Eden)』なる題名の書物を読んだ。ニューヨークのエイボン・ブックスから1997年に出版されたものである。「老生」はこれを今年の始めにアマゾン・ドット・コムから購入したが、多忙でなかなか読めなかった書物である。

同書の48と49ページで、著者は非常に興味深い質門をしている。簡単に言えば、受精卵、胚芽、あるいは胎児のどの段階で人権が発生するのか、という質問である。そして、著者は自分の考えも含めて三つの答えを紹介している。

「多くの哲学者や科学者が胚芽の立場について書いている。彼らの意見はおおむね下記三つの考え方に沿ったものである。まず一つの極論であるが、それは胚芽すなわち人間なりという考え方であり、この立場では、胚芽の人権を認めるべし、というものである。従って胚芽も我々が通常他人に対して払う敬意と保護を与えるべきとなる。これは現在のカトリック教会の立場でもあり、その他の多くの政治的にも生命尊重派に属する人々の立場でもある。

「別の極論は、胚芽は唯の人間細胞の塊に過ぎず、何も特に特別扱いすべきものではない、とする人々の考え方である。この立場は殆どの生物学者は、恐らくこの考え方に組していると思われる。

「これら二つの考え方の中間に三つ目の意見がある。その考え方の中心になっているのは再生産倫理学者と法律家ジョン・ロバートソンであるが、彼は次のように言う。『胚芽には他の人体組織に与えられている以上の敬意を払われてしかすべきである。何故なら、胚芽は将来人間になる可能性を秘めており、またシンボリックにも多くの人々にとって意味があるものであるからだ。とは言っても、人として扱うのも問題がある。なにしろいまだ人格形成ができていないからである。また、その生物としての潜在的可能性が何人にとっても未知であるが故である』

ロバートソン氏が言うように、これが恐らく、最も多くの世間的な生物学者がとる立場ではないだろうか。

「こういった議論の前に、本当は、以下のようなQ&Aによって、基本的な定義を明らかにしておくべきである:

1. 胚芽は生きているのか?答えは明らかにイエスである。

2. 胚芽は人間なのか?やはり答えはイエスである。しかし、それを言うなら我々は皆、皮膚の細胞をこすり落としているではないか。

3. 胚芽は人間としての生命体か?答えはノーである。何故なら胚芽には、一般に人間生命体の属性である神経組織がまだできていないからである。

「初期の胚芽はここで言うところの生命体でないとして、だからと言って人間と同等であると言い切れるであろうか?筆者が度々耳にする返事は次のようなものである。

「第一に、胚芽の遺伝的構成は新しい個性である。第二に、胚芽も潜在的には完全な人間に成熟する可能性を秘めている。これらを総合して考えると、胚芽は遺伝的には、唯人間となる可能性をもつだけでなく、個性を持った人間になる可能性があるということになる。ただし、卵子にも精子にも、その個性は存在していない。

すでにこのページで何度か書いたが、「老人」はジェレミー・リフキン氏の書物、バイオテク・センチュリーを通して、同氏を深く尊敬する一人である。上記の様々な意見あるいは立場について、リフキン氏の考えを知りたいと考える者である。どなたか同氏の電子メールのアドレスを「老生」に教えて頂けないものであろうか?

「老生」は医学の専門家ではない。そこで、胚芽と胎児の定義についてオックスフォード医学辞典を参照した。結果を下記する。


A)胚芽:動物が生まれる前の発達の初期。人間の場合は、受胎後子宮のなかで第八週目を迎える場合に胚芽と呼ぶ。

B)胎児:哺乳類の胚芽で発達の後期にあるものを胎児と呼ぶ。人間の場合は、まだ生まれない子供であるが、発達の第八週間後から胎児と呼ぶ。


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